本作はたったの17館から上映がスタートし、最終的には1490館以上にまで拡大公開された超話題作です。
なんだか日本の映画でいうところの『カメラを止めるな!』を彷彿とさせるが、なぜ『ザ・ピーナッツ・バター・ファルコン』は作品としてこんなにも人々に愛されたのでしょうか。
その理由と、本作が伝えたかった本質的なことを探っていこうと思います。
劇場に足を運んでみると個人的には『カメラを止めるな!』よりももっと必然的に人々の心を鷲掴みにしたのだと納得しました。
ヒットするべくしてヒットしたといったところでしょうか。
映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』あらすじ
プロレスラーになることを夢見るダウン症の少年ザックは養護老人施設で窮屈な生活を送っていた。ある日施設を脱走することに成功した彼は行くあてもなく歩いていると岸辺でタイラーと出会う。初めは相容れなかった2人だが思わぬ方向へと物語は展開していく。––––
映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』はタイラー・ニコルソンとマイケル・シュワルツといういわば無名の監督によって撮られた作品です。脚本もこの2人が担当しています。
本作が制作されるまでには少々のドラマがあったようです。
話は監督のマイケル・シュワルツが障害者向けのキャンプに参加した際にザックと出会ったことに始まります。
ザックはマイケルと出会った際に、映画スターになりたいと話すが、マイケルはそれは無理だと言ったそうです。
しかしザックは諦めず、無理と言うなら自分が出演する映画を作ってくれと頼んだのです。
そうしてこの素晴らしい映画は現実となっていきました。
現代版『ハックルベリー・フィンの冒険』
本作は現代版『ハックルベリー・フィンの冒険』とも言われています。
ハックルベリー・フィンの冒険は『トム・ソーヤーの冒険』の結末で共に追われる身となった黒人のジムとハックがミシシッピ川を下り友情を深めていくストーリーです。


なんだか雰囲気が似ていますね。
映画『ピーナッツ・バター・ファルコン』登場人物
タイラー(シャイア・ラブーフ)
逃亡中のならず者、タイラー。
彼を演じたのはシャイア・ラブーフ。これまでに、『トランスフォーマー』シリーズや『フューリー』など、多くのヒット作に出演しています。
エレノア(ダコタ・ジョンソン)
エレノアはザックの生活している施設の看護師です。
彼女を演じたのはダコタ・ジョンソン。最近だとリメイク版『サスペリア』に出演し、話題になりました。
ザック(ザック・ゴッサーゲン)
本作に出演しているザック・ゴッサーゲンは実際にダウン症という障害を持っています。
障害者が実際に映画に出演し、演ずることは初めは困難だと思われました。
しかし映画を見た人ならもうわかるであろう、彼の演技は素晴らしいものでした。
更に、彼の演技のデモ動画を観てシャイア・ラブーフやダコタ・ジョンソンといった大物俳優も出演を快諾しました。
撮影現場はまるで家族のように暖かいものだったそうです。
果たして、映画もものすごく心温まる物語でした。
私なら2020年の映画ベスト10に入れたいと今の時点で思うくらい良作です。
全米での評価も納得のもの。評価もあまりにも高く、日本の多くの人に観てほしい最高の映画となっています。
映画『ピーナッツ・バター・ファルコン』ネタバレ感想-本作が伝えたかったこと。
本作が伝えたかったことは
「人は見た目じゃ分からない。固定観念に囚われるな。」
ということが1番大きいのではないでしょうか。
このようなテーマはベタではありますが本作ではものすごく気持ちよく理解できました。
どのようにそのことを伝えて伝えてくれたのか。
物語を追う上で重要なのはやはり登場人物それぞれの立場に立って考えてみる、感じてみることだと思います。
本作では主要人物が3人で非常に感情移入しやすい物語でした。
特に登場人物のザックに対する思いを辿ってみるとわかりやすいです。
主な登場人物は先ほども紹介したように、
- ザック
- タイラー
- エレノア
の3人です。
まずはザックです。
ザック(ザック・ゴッサーゲン)は最初、養護老人施設で暮らしているが自分の可能性を信じて疑いません。
それでいてプロレスラー養成学校に入るという夢まで持っています。
そんなわけで施設を抜け出したのです。
劇中の彼は非常に素直で、そして共に旅をしているタイラーをとても信頼しています。
しかし、自身がダウン症であり、それが障壁となることがあることを理解しており、時には弱音を吐く純粋な男です。
タイラー(シャイア・ラブーフ)は私生活ではあまりうまくいってないようで、はじめにザックと出会ったときは彼を除け者扱いしていました。
しかし彼が素直で純粋であることを理解したタイラーは共に旅をし、ザックの夢を達成するための手助けをする良き理解者となります。
彼はザックを障害者として見るのではなく、人間の魂を基準に見ており、「障害者だから」という考えは一切持っていないです。
むしろ追われる身となっているもの同士仲間という意識が強いように感じました。
そして私がこの物語を読み解く上で最も重要な役割を果たしたのがエレノア(ダコタ・ジョンソン)です。
彼女は善良な人間ではあるものの、「ダウン症だから」という理由を付けてザックの行動に常に過保護になっています。
彼女とザックは非常に良い関係ではあるものの、彼女がザックに対して過保護であるという点は多くの人が気になったことだと考えられます。
しかし、多くの人間に当てはまるのがエレノアのような人物です。
一般的に考えて、障害者となると心配だし、そのことがハンディキャップであると感じ、何かにつけて手を加えてしまうことがありますよね。
悪いことではないしそれが普通なのかもしれないです。しかしそれが最善であるとも限らないということです。
エレノアは固定概念にとらわれて常に「ダウン症の子」という前提でザックと接していました。
ダウン症であること前提条件に一切入れないタイラーとは正反対ですね。
実際、タイラーはザックと共に過ごし、彼が養護老人施設で過ごすにはもったいないくらい普通に生き抜く力を持っていることを見抜いているし、彼自身がそれを証明していたのですから。
これにはタイラーとザックが野営していることがエレノアにバレた際に非常に印象的な場面としてハッとさせられ、気づかされました。
エレノア同様、タイラーの主張には多くの観客がハッとさせられたに違いないです。
重要なシーンが公式動画として公開されていたのでぜひもう一度見てほしいです。
つまりのところ話を戻しますが、本作が伝えたかったことは「人は見た目じゃ分からない。固定観念に囚われるな。」ということでしょう。
エレノアは共に旅をすることで徐々にザックのことを本当に理解するが、初めは「ダウン症だから」という固定観念に囚われて行動していました。
ここが多くの観客と重なることです。
ダウン症などの障害に限った話ではないですね。「〜だから私には無理」「誰々は〜だから仕方ない」など何かと言い訳のような形で固定観念に囚われて自分で自分の可能性を狭めている意図も多いと思います。
何かに挑戦することには勇気が必要なので仕方ないです。
でも、できることならザックやそれを奮い立たせるタイラーのように生きていけたら幸せが増えるのではないでしょうか。
その答えは、本作の結末が示してくれていると思います。
『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』は最高の映画でした。
日本でも多くの方に是非観てもらいたい、生きていく上での大切なことを教えてくれる映画です。