本作を分析&考察する上で最も重要な事はこの作品が実話であるということだ。映画『リチャード・ジュエル』はタイトルの通り、「リチャード・ジュエル」という権力に振り回された1人の男性を題材にした真実の物語だ。内容的には少々単純化された構成ではあったもののクリント・イーストウッドの手腕がうかがえる作品となっていたに違いない。以下で解説していく。
リチャード・ジュエルとは一体何者?事実について解説。

リチャード・ジュエルはアメリカ合衆国の警備員だ。1996年のアトランタオリンピック開催期間中にセンテニアルオリンピック公園にて警備の仕事に就いていた。その際、不審なバックパックを発見したリチャードはすぐさま警察官に報告し、周囲の人を誘導するも爆弾は爆発。2名が死亡、100名以上が負傷する事件に巻き込まれた。当時第一発見者としてメディアからも英雄と称賛されていた彼だったが、数日後、彼がFBI(連邦捜査局)から容疑者として捜査の対象となっていることが報道された。捜査対象であることが報道されてからはFBIだけでなくメディアからも付き纏われる日々を過ごすも、80日以上経った後に晴れて捜査対象から外れることとなった。(映画では主に、事件発生から捜査対象の期間が描かれる。)
リチャードはその後、名誉を傷つけられたとして多数のメディアを相手取り訴訟を起こしている。そのほとんどで和解金を得ることで解決している。
尚、センテニアル・オリンピック公園爆破事件の真犯人は事件から6年後の2003年に逮捕され裁判では終身刑となった。
事件後、法執行官の職を転々としたリチャード・ジュエル。2007年に心臓関連の病によって亡くなった。心臓に問題を抱えていたことは劇中でも何度か描写されている。
大事なのは彼がごく普通の人間で、とても強い正義感を持った人物であることは本作をみればわかるだろう。
『リチャード・ジュエル』が伝えたかったこと「権力を持つと人はモンスターになる」
本作が伝えたかったこととは一体なんだったのだろうか。
「権力を持つと人はモンスターになる」
ひとえに、劇中に登場したこの言葉が示していると私は考える。権力を持った人間がモンスターと化す時、悲劇は起こるのである。
この言葉は、リチャードの友人で弁護士的役割をを担当したワトソン・ブライアント(サムロック・ウェル)が事件発生前の序盤に語った言葉だが、非常に印象的であった。向上心の高いリチャードが権力を持つようになるかも知れないと感じたワトソンは権力を持ってもそれを乱用しないように彼に諭したのだ。いかんせん、この言葉が指し示すようなことが物語では次々と起こってしまうのである。まさに悲劇であった。
証拠もないのに、FBIがセンテニアル・オリンピック公園爆破事件の容疑者としてリチャードを追い詰めたことは結果として権力が人間の力によってモンスターとなってしまった瞬間である。そのモンスターはリチャードを糾弾し、家族のプライバシーまで侵害し、生活を壊してしまった。
本作が伝えたかった事は権力乱用による悲劇の恐ろしさである。FBIの証拠のない憶測による捜査が漏れたことによるメディアの行為もまた、権力のモンスター化である。人々を扇動できる能力があるメディアは非常に大きな力を持っている事はわかっているはずだ。1人の人間をたった一つの情報から吊し上げ、糾弾してしまった事は非常に罪深い行為であるし権力の乱用と言える。
力を持つものは自分の力をよく理解することが大切なのだ。
記者・FBIの関係性とメディア扇動の恐ろしさ
本作の恐ろしさはFBIと記者の関係性にあると考える。例えばキャシー・スクラッグスFBI調査官を前にセックスと引き換えに情報を引き出そうとしている(この場面は事実とは異なるとして批判されている)姿が描かれている。FBIが捜査段階にある証拠も掴んでいない人物の情報を漏らすなどあり得ない事だ。それを報道してしまったメディアもまた同様だ。
今回『リチャード・ジュエル』で描かれた一連の出来事はまさに報道被害だ。
報道被害(ほうどうひがい)とは、マスメディアが犯罪などの事件や出来事を報道するとき、誤報や事実と確認されていない事を決めつけた報道をしたり、事実を故意に編集し誇張した報道により、被報道者の生活基盤、人間関係、名誉などを破壊してしまうことをいう。
出典:Wikipedia
しかしこのような事態が起こってしまうことは仕方のないのだろうか。メディアによる扇動という力の強さは昔から言われているがそれはこれからも起こりうる事だ。スクープを常に狙っている記者とスクープを持っているFBI。彼らは人を動かす情報を持っている以上それを慎重に扱わなければならないし、そういう立場であるという意識も必要だ。
これからの時代、情報がさらに重要になってくる。私たちが情報を正しく収集する能力ももっと必要になるに違いない。
狂った権力によって人々を守りたいという信念のもとに行動していたリチャードでさえ、悪夢へと放り投げられてしまうのだからいつ自分の身に同じような出来事が降りかかってもおかしくはない。
もし自分がある日突然彼のような状況に置かれてしまったらと考えると非常に恐ろしい。
実話に基づく物語の真実を明確に伝えることのできる巨匠クリント・イーストウッドには毎度感動させられる。次はどのような真実の物語を見ることができるのだろうか。
【あらすじ】
1996年、警備員のリチャード・ジュエルは米アトランタのセンテニアル公園で不審なリュックを発見。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。
事件を未然に防ぎ一時は英雄視された彼だが、現地の新聞社とテレビ局がリチャードを容疑者であるかのように書き立て、実名報道したことで状況は一変。さらに、FBIの徹底的な捜査、メディアによる連日の過熱報道により、リチャードの人格は全国民の目前でおとしめられていった。 そこへ異を唱えるため弁護士のワトソンが立ち上がる。無実を信じ続けるワトソンだが、そこへ立ちはだかるのは、FBIとマスコミ、そしておよそ3億人の人口をかかえるアメリカ全国民だった──。
監督は、2020年で90歳を迎える巨匠クリント・イーストウッド。『アメリカン・スナイパー』を超える緊迫感と共に、”知られざる真相“への興味と感心を絶えず刺激し続けながら、心優しい男が、なぜ全国民の敵となってしまったのか?を追うサスペンスフルドラマとして描き出す。
SNSが人々の生活に根付き、姿なき誹謗中傷が蔓延する現代社会。誰もが「被害者」や「加害者」になりえる今の世の中へ、クリント・イーストウッドが警鐘を鳴らす。
映画『リチャード・ジュエル』公式サイト
本作からはキャシー・ベイツが第96回アカデミー賞にノミネートされている。凶悪犯だと疑われた愛する1人息子リチャードへの母親の弱さと優しさを繊細に演じきっている。

なお、受賞となれば1990年に『ミザリー』でアカデミー賞主演女優賞を受賞して以来の栄冠となる。
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