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【ネタバレ感想・考察】鬱映画『ミスト』霧の正体とラストに隠された意味と伝えたかったこととは

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本作はかのスティーブン・キングが1980年に書いた中編小説が原作となっている。

「霧」を題材にした物語がここまで衝撃的な結末を迎えるとは誰も予想していなかっただろう。

映画としては2007年に公開されたが現在でも「ラストが衝撃」作品としてしばしば紹介される映画だ。

今回はそんな映画に登場する霧の正体とラストの結末に隠された意味について探っていくことにする。

映画『ミスト』あらすじ

ある日、田舎の街に暮らすデヴィッドは息子とともに近くのスーパーへと出かけた。しかし突如として街全体は霧に包まれてしまったのだ。正体のつかめない謎の霧に翻弄されながら人々は衝撃の結末へと向かうのであった。

鬱映画『ミスト』ネタバレ感想・考察

本作を一言で表すと、「後味の悪さ」です。

私がこれまでに見てきた映画の中でもトップクラスで後味の悪い展開となっていました。

それは皆さんも同じなのではないでしょうか。

例えば『セブン/SEVEN』なども後味の悪さが残る作品として有名ですが本作に関しては格別でしたね。

ミストの正体は一体何だったの?

果たして、結局のところ物語に登場したミストの正体は一体何だったのでしょうか。

ミストの中にはとても気持ち悪い得体の知れない生き物が大量に生息していたが、ミストの要因はこの生き物たちにあると考えられますね。

物語の途中で霧が立ち込め、得体の知れない生き物が野放しにされた要因として軍の異次元を観察する実験の失敗だと述べられていました。

何らかの不手際によって異世界の生き物達が私たちの暮らす世界へと迷い込んでしまったのです。

これらのミストについては、物語の結末としてあのような衝撃的な展開を残すためだけの飾り付けのようなものでしょう。

いわば、ただの設定です。

ミストがあることで周囲の様子がわからず、それがどこから発生しているのかもわからず、中はどのような状態になってしまっているのかさえわからないのです。

このような極限状態を作り出すことでスーパーマーケットに残された人々はパニック状態に陥りました。

極限の状態に陥ると人間は何をするかわからない。どんなことでもできてしまう。

スーパーマーケットの中はまさにそんな状態になっていたのだと思います。

人々が極限状態になり、パニックに陥るとどうなるか。

まず第一に大勢の人間が共存しすぎていると意見が分かれます。

大勢の人間がいると様々な考え方をする人がいます。

当然意見も分かれるのです。意見が分かれるとどうなるか。当然対立します。

『ミスト』ではあのスーパーマーケットが全てであって世界であると感じてしまっている人も多かったのでしょう。

だから対立は激化し、そして指導者が現れます。

自らの考えに自信のないものたちはこういう状況には弱ので何か方針を持っているものがいればそれが善であっても悪であっても賛同してしまうのです。

ウォーキング・デッドっぽさについて

物語の展開という点から見ると本作は大人気海外ドラマシリーズ「ウォーキング・デッド」に非常に似ていました。

先ほども紹介したように『ミスト』では極限状態が作られ、スーパーマーケットの中で小さなコミュニティができ、コミュニティ同士が対立していました。

ウォーキングデッドでも世の中がウォーカー(ゾンビ)まみれとなり、生存者たちが小さなコミュニティとなりコミュニティ同士で対立します。

主にこの対立が見どころで、極限状態においてその対立をどう乗り切るかが非常に手に汗握る展開です。

映画『ミスト』がラストの結末で伝えたかったこと。

果たして、本作が物語のラストで伝えたかったこととは一体何なのでしょうか。

先ほども解説した通り、コミュニティにおいて二つの勢力に分かれていました。

二つのコミュニティとは、狂信者ミセス・カーモディを信仰するものたちと、主人公デヴィッド率いる集団です。

ラストではデヴィッドたちの集団ははスーパーマーケットを飛び出して車を走らせました。

しかしついにはガス欠となり車は停車。希望を失った大人たちは生還を断念しデヴィッドの息子ビリーが眠る中自殺することを決めました。

しかし車の中にはビリー含め5人。銃弾は4発しかなかったのです。

デヴィッド以外の4人が銃弾を使用しデヴィッドのみが、得体の知れない生物が大量に生息するミストのど真ん中に取り残されてしまいました。

そして車から出ると「俺を殺してくれ」と叫ぶのでした。

そこに突如として軍の一向が到着。周囲の得体の知れない生物を兵器で次々に殺戮していったのです。と、同時に霧も晴れていきました。

こんなに悔しい映画は他にありますか?

数分前まで希望を失って、愛する息子とともに協力者たちが死んでしまった。そして自分は生きていて、恐ろしいことも終わっていた。恐ろしいことは終わっていてもデヴィッドにとってこんなにも恐ろしい体験は今までなかったでしょう。

あと少し早ければ…とはまさにこれのことですね。

このような後味の悪さが伝えてくれることは明快です。

それは、物事の正しさを見極めることは難しく何が正しいのかわからないということでしょう。

本作は常にデヴィッド目線で物語が進行していました。

主人公であるから当然ではあるのですが、本作を観ているものたちもデヴィッド目線で、デヴィッドに感情移入していました。

そしてデヴィッドの行動があたかも正しいかのように受け入れてしまっていたに違いないです。

誰しもが狂信者ミセスに対して嫌悪感を抱いていたでしょう。

しかし終わってみたらどうだったでしょうか?

正しいのはどっちだったと言えるのでしょうか。

ラストでスーパーマーケットに残ったものたちは皆生還していましたよね。

それをみたデヴィッドもまた、どう思ったのでしょうか。

これらのことから、本作は主人公ありきの物語の正しさに対する痛烈な皮肉を込めた作品であるといえます。

世の中にはますます情報が溢れ、みんなが使っているニュースアプリだからこのニュースは信用できると勝手に決めつけてはいませんか?

そんなときは本作を思い出したいと思いました。

皆が信じて疑わなかった主人公は間違いを犯し、結論ありきだと正しくなかった。

正しかったのはスーパーマーケットに残ったものたちで私たちの多くがが間違ってると感じた狂気的信仰者たちの集団だったのです。

なんだかめちゃくちゃ憂鬱な終わり方をする作品でしたが、本作は情報リテラシーの大切さ、自分が信じているものの不正確さを大いに教えてくれた作品となっていました。

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  • この記事を書いた人

Mr.Pen

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