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【ラスト結末考察】映画『ジョーカー(JOKER)』が本当に伝えたかったこととは

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ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞を受賞した映画『ジョーカー』。

2019年最も注目された映画の一つです。

この記事では、映画『ジョーカー』が高評価である理由を物語を深掘りしつつ考察していきます。

ジョーカー(JOKER)のラスト考察

初日は満員御礼。序盤からフィナーレまで終始スクリーンに釘付けになってしまったのはきっと読者の皆さんも同じだったでしょう。

映画『ジョーカー(JOKER)』は一体何を伝えたかったのだろうか?なぜ高評価なのだろうか?

正直、鑑賞中に胸の中がぐりぐりとえぐり出されるような感覚に陥った者も多かったと思います。

「すごい映画だったな」

第一印象はそんな感覚でした。

ここでは悪役映画が際立つ理由を徹底的に解説していく。

映画『ジョーカー(JOKER)』悪役映画だからこそ高評価

出典:『ジョーカー』公式サイト

ジョーカーが金獅子賞?

正直はじめはそう思いました。悪役映画がなぜここまで観るものを魅せるのでしょうか。

その答えは単純です。

悪役映画だからです。

なぜ悪役映画はあそこまで人の心を動かすのか。

例えばスパイダーマンのようなヒーロー映画を思い浮かべてほしい。

スパイダーマンはなぜ存在するのか?

なぜあのようなヒーローが誕生したのか?

ヒーローはなぜ存在するのか?

その答えは簡単で、悪役がいるからです。

では、なぜ悪役が存在するのか?

その答えは非常に難しいです。そこにはドラマがあります。それは、悲劇のドラマであることが多いです。単純ではありません。

よくヒーロー映画の評価を決めるのは悪役の印象であるとも言われます。

なぜなら悪役誕生にドラマがなければ、ヒーローが戦う理由も薄っぺらいものとなるのは明らかだからです。

映画『ジョーカー(JOKER)』でもアーサー(ジョーカー)が悲劇のドラマを魅せてくれました。

悪役ジョーカーが伝えたかったこと。苦しみの理由を理解することでこの映画の存在意義と高評価の理由も見えてくるのだとおもいます。

悲劇の過去を持つアーサー(ジョーカー)にはドラマがあった。彼を狂わせたのは彼自身か。それとも…。

果たして、映画『ジョーカー(JOKER)』にも悲劇のドラマがありました。

悪役にスポットライトを当てると、悪役にとってヒーローが邪魔であるのと同じで、映画にとってもヒーローは邪魔です。

この映画が悪役単独映画だったこともそれが理由であると考えられます。

2時間弱の上映時間では正直足りないのではないかと言うくらいの濃さとなっていましたね。

この映画の主人公であるアーサーは不幸すぎて泣けてくるほど不幸です。

彼は劇中、終始笑っているのにもかかわらず、不幸であることは皮肉ですね。

世間から見ると彼は正直狂っている。狂っていると思ってしまうのはもしかしたらゴッサムシティが狂っていたからかもしれない。

私たちの存在する社会が狂っているからなのかもしれない。

なぜなら彼は最初、狂っていなかったからです。

幼少期のアーサーは虐待を受け、不幸のどん底でした。

その虐待のせいで脳を損傷し、突発的に笑ってしまう障害を持つようになりました。

大人になったアーサーは社会福祉に少しは支えられていたが、それも物語の途中で途絶えました。

彼を狂わせたのは彼自身のせいなのでしょうか。

さまざまな不幸が重なり、仕事を失い、遂には人を殺してしまいます。

人を殺めてしまったことさえも仕方ないと思ってしまうほどにあまりにも不幸が重なりすぎているように感じました。

アーサーは義理の母にハッピーと呼ばれていました。

「生まれて一度も幸せなんか無かった」

そんな彼の言葉が心に響いてしまいます。

彼を狂わせたのは彼自身ではない。それが多くの観客の答えでしょう。

結局、彼が犯してしまったことは、彼自身のせいになるのがこの社会で生きていく上での結論なのですが、そんな彼を作り出してしまったのはなぜなのか。

周りの環境なのかもしれない。

そのモヤモヤが私たちのモヤモヤとなり、悪役ジョーカーはやり場のない怒りを社会にぶつけ爆発させたのです。

なぜ彼はあんなにも不幸なのか。なぜ彼の周りはあんなにも冷ややかなのか。

私たちのモヤモヤと、彼のモヤモヤが重なりを見せたとき、この映画は高評価へと導かれたのでしょう。

アーサー(ジョーカー)の過去をネタバレ解説。キーワードは“妄想”

物語が進むにつれてアーサー(ジョーカー)の過去が徐々に明らかになっていきました。

父親から虐待を受け、実の母だと信じていたペニーも実は義母であることが明らかになり、もはや彼が失うものは何一つとして無くなってしまうのです。

結局彼の人生は、ペニーの妄想に振り回されていたことになり、彼自身も隣人に妄想しています。

彼には何一つとして残っていなかったでしょう。

「僕が歩道で死んでいても、みんなは踏みつけて通り過ぎるだけだろう。」

その言葉が脳裏をよぎる。

地下鉄の駅構内に響き渡る銃声がジョーカーの心の叫びを代弁した

悪役誕生の瞬間。

それはジョーカーが証券マン3人を銃で殺めた瞬間でしょう。

不甲斐ない理由で、仕方なかった。1人を殺し2人を殺し、3人目は追いかけて殺したのです。

地下鉄の駅構内に響き渡った銃声。それは彼の心の叫びを、怒りを代弁していたように思えました。

彼が本当の悪になったのはいつだろうか。何人目を殺したときだろうか。

人を殺めては、さらなる絶望が身に降りかかる。負の連鎖は続いていったのです。

映画『ジョーカー』「本当の悪は笑顔の中にある」これは本当だろうか?

日本版のポスターにも描かれた言葉。

「本当の悪は笑顔の中にある」

この言葉は少々的を射ていないような気がする。

笑顔の中にあったのは単純な悪でしょうか。

映画を観て映画館を出るとき、単純にジョーカーは悪だ。と感じたものはいたのでしょうか。

同情してしまった人が多かったに違いないと思います。

“本当の悪”

この言葉は悩みどころです。

ピエロの化粧をした時に、涙で化粧が落ちて、涙を描いたシーンがありました。

彼の笑顔の中にあったのは苦しみと絶望であったのでしょう。

映画『ジョーカー(JOKER)』がラストで学ばせてくれたこと。伝えたかったこと。

映画『ジョーカー』はあなたにとってどのような映画となりましたか?

アーサーという人間が、ジョーカーという悪役が伝えたかったこと、この映画が伝えたかったことはなんだったのでしょうか。

「生まれて一度も幸せなんてなかった」

こんな言葉を言う人がいてはいけない。そんな社会があってはいけない。ゴッサムシティはそんなことを訴えていたのではないのでしょうか。

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  • この記事を書いた人

Mr.Pen

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